巡る日々の中
わたしに残るのは
記憶それとも 忘却だろうか 「優しい忘却」(歌:芽原実里)さて、去年も年が明けてから三ヶ月も経って更新した大たわけの私ですが、例によって例の如く仕事が忙しい所為もあってまったく同じ事になりました。
とはいえ、仕事ばかりしていたのかというとそんな訳でもなく、同じ映画を10回近く観に行くという過去にもあまりない事をやっていました。
上記の歌詞はその映画『涼宮ハルヒの消失』の主題歌の一部です。
言うまでもなく「涼宮ハルヒ〜」シリーズはライトノベル原作で06年にTVシリーズとして放送されてそこそこヒットしたタイトルです。私はこの作品で初めて[京都アニメーション]という制作会社を意識しました。
中坊時代は濃ゆいアニオタだった私が、アニメ業界に入ってからはアニメのDVDなどまったく買っていなかったのですが、ようつべで観て以来、はまってしまって速攻でDVDを買いあさり、あげくの果てが今回の映画も10回も観に行き、酔った勢いでグッズまで買っちゃうんだから、すっかり中坊時代に先祖帰りする有様です。
何がそんなに気に入ったのかというと、恐らくTVシリーズ1話、ヒロインの涼宮ハルヒの入学早々の教室での挨拶、
『東中出身、涼宮ハルヒ。ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上』
の台詞が原因でしょう。
暫しの沈黙の後、やべっ・・こいつ既知外だ・・・とにやにやしてしまった私はその瞬間にこの作品に惹かれたのだと思います。傍若無人の突破力で周りを巻き込みながら騒動を引き起こしつまらない学園生活をハルヒ本人にとっては愉快な物にしていく描写に、さほど楽しくなかった学生生活を過ごしていた私は主人公のキョンの姿に自分を重ねあわせていたからでしょう。恐らくそういう風に感じていた人達が沢山いたからこそこの作品はヒットしたのだと思います。
そしてこの劇場版『涼宮ハルヒの消失』。TVシリーズと同様、楽しい内容を期待して観に行ったら、期待を裏切られどうにもこうにも切ない話で、それでもただの切なさで終わるわけでもなく主人公・キョンの決意が映画のラストを爽やかに締めてくれて何度でも観たくなるような作品に仕上がっていました。
確かに原作のライトノベルかTVシリーズを観ていないと映画の内容はわかりづらいという欠点はあるにしろ、それを差し引いてもこの映画はSFジュブナイルとして間違いなく傑作だろうと思います。
世界を作り替えられるくらいの力を持っている涼宮ハルヒ。本人にその力を自覚させないように監視役として派遣させられて来た未来人、超能力者、宇宙人。SOS団という部活動の中で主人公のキョン、涼宮ハルヒと共に非日常学園生活をおくっている中、この宇宙を統べる情報統合思念体によって作られたアンドロイド宇宙人・長門有希。感情がまるでないような彼女もSOS団での日々に次第に変化が訪れていた。
彼女はそんな自分の変化に戸惑い、クリスマス前のある日、自分の能力を駆使して世界を作り変えてしまう。
作り変えられた世界には涼宮ハルヒの存在がみんなから忘れられていた。SOS団の面々も全て記憶が入れ替わり、何故か一人だけ過去の記憶を残されていたキョンは半狂乱になってハルヒを忘れてしまっているクラスメートに食って掛かる。
何故、自分だけ過去の記憶が違っているのか。藁をも掴む気持ちでSOS団の部室だった文芸部室に足を向けるキョン。そこにはクラスメートと同じように記憶が違っている宇宙人・長門有希がいた。安堵するキョンは長門の様子がまるで違う事に気付く。長門はまったく普通の女の子になっていた。
TVシリーズを観ていたらキョンに対する長門の気持ちが”好意”であるのは明々白々なのですが、作られたアンドロイドである長門はそれをシステム上のバグとして自分の内部に処理して溜め込んでしまい、ある日暴走してしまうわけです。キョンはぶつぶつ言いながらもハルヒの言う事に従っているし、そんなキョンをずっと見てきた長門は世界を作り変え、自分を普通の女の子にしてでもキョンに選んで欲しかったのです。しかも強制的にキョンに自分を選ばせるのではなく、キョンの記憶を残したまま自分を選んで欲しいという願い。
そうであるからこそ改変された世界でもキョンがハルヒに出会えるようにヒントをわざわざ残し、改変された世界でもSOS団のメンバーを集めさせキョンに選択を迫るのでしょう。
その長門の気持ちが痛い程よく分かるからこそ、この作品の中で”長門有希”という存在が多くのファンを作り出しているのだと思います。
それだけではなく、未来人の朝比奈みくるのキョンに対する思い、超能力者・古泉一樹のキョンと同じようにハルヒに対する思い、それぞれが選ばれなかった者たちの”切なさ”をかもし出していて恥ずかしながら拙者、こう胸の辺りがキュンとしてしまいます。
世界を作り替えてでもキョンに自分の事を見て欲しかった長門。その長門の気持ちがよく分かる人にはこれはたまらない映画です。出て来る主な登場人物に何かしら自分を重ねてみてしまう事の出来るこの映画はファン向けの映画という制約はあるにしても良質の作品に仕上がっています。
それにしても何故この映画を何度も観に行くのだろうかと考えてみると、この作品にはイヤな人物が一人も出てきていないという事ではないかとの考えに至りました。全ての登場人物が愛おしく思えます。それはこの作品で描かれる『涼宮ハルヒの憂鬱』の世界、キョンが体験する非日常の世界に憧れをもってしまう故でしょう。
なんか知らんけどこんな世界は面白くない、こんな事は面白くない、世界にはもっと面白い事がある筈、もっと自分を取り囲む世界を面白くしたいと考えている種類の人達にとってはこの作品は何かしら琴線に触れるものがあるのではないでしょうか。
物語のクライマックス。キョンは自分自身に問いかけます。
『そんな非日常な学園生活をお前は楽しいと思わなかったのか?』キョンはSOS団の面々を思い浮かべながらさらに問いかけます。
『これで最後だ。はっきり答えろ。俺はハルヒとハルヒの起こす出来事を「楽しい」と思ってたんじゃないのか? 言えよ』
キョンは押さえつけられていた自分の頭を起こしながら叫びます。
『・・・・当たり前だ。楽しかったに決まってるじゃねえか! 分かりきったことを訊いてくるな!』
今まで誤摩化し誤摩化してきたキョンが自分の本心をさらけ出すシーンは演じる声優の杉田智和さんの熱演もあって胸が熱くなる名シーンになっています。
まさしくこの映画は監督が語っていたように『ラブストーリー』と『キョンの決心と回帰の物語』を縦軸と横軸とする映画であり、私は長門の想いにもキョンの思いのどちらにも共感できるからこそ、この映画に出て来る様々な場面に憧憬を以て観てしまうのでしょう。
こんな映画にはなかなか出会えるものではありません。
所詮、オタ向けのプログラムピクチュアであろうと、熱心なファンのための映画でしかなかろうとこの映画の中で描かれた”切ない想い”はウソっぽいまがい物ではないと確信しています。
最後に、嗚呼可愛いよ長門♡アニメキャラを抱きしめたくなったのは久しぶりだったぜい!